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震災当日その3 [その他]

私のことは,とりあえず,2回にわたり,書いたので,
今回は,私よりももっと過酷な状況におかれていた妹のことを
書きたいと思います。

私の妹は,何の因果か私と同じ職業をしておりました。
さらに,私より遙かに海に近い学校に勤務していました。

地震が起きた当時は,自分の受け持ちの子どもたちはすでに帰った時間でした。
大津波警報がでたと知り,当時の校長・教頭から
「子どもたちを探してこい。」と
今考えれば,「死ににいけ。」と言っているような指示を受け学校を出ました。

海の方に歩いていくと,前から,津波がやってくるのが見えたそうです。
走って逃げたようですが,どう考えても高台までは間に合いそうがないと考えた妹は
近くにあったコンビニの裏ならもしかして水の勢いが弱いのではと考え,コンビニの裏に回りました。
それでも,どんどんと水かさが増していきます。
ここもだめか。
残るは,屋根に上るしかない。
そう判断しましたが,どうやって上ったらいいのか・・・。
とりあえず,エアコンの室外機にあがり,雨樋に指をかけ,
渾身の力で伸び上がろうとしました。
何度も失敗しましたが,皮肉なことに水の浮力を受けどうにか,屋根の上に上がることができました。

屋根に上がったはいいものの,水は屋根の上にも流れてきました。
「これ以上増えたら・・・。」
雪も降ってきました。震える手で
父にメールを送りました。

あとで,そのメールを見せてもらいましたが,まるで,遺書のようなメールでした。

幸いなことに水は,それ以上増えませんでした。

気がつくと真っ暗になっていました。
雪がどんどん降ってきて妹がいる周りは真っ白な雪が積もり始めました。

第2波が来るまで,ここからどうにかして逃げないと・・・。
妹は,教員の必須アイテム,ホイッスルを鳴らして助けを求めました。
近くの家の方が気づいて窓を開けました。

「○○小学校の教員です。申し訳ありませんが,助けてください。」
「何もいらないので,2階にいさせてください。」
必死に助けを求めましたが,その家の方は,
「どこの者だかわからない人を家に入れるわけにはいかない。
そのうち助けが来るだろうから,そこでまってればいい。」
と窓を閉めてしまいました。

それでも,妹はホイッスルを鳴らし続けました。
「たすけてください!」

それを聞きつけてくれた高台のうちから水に入りながら助けに来てくれる人がいました。
「○○小学校の教員です。申し訳ありませんが,助けてください。」
「何もいらないので,2階にいさせてください。」

「何もないけど,うちで良ければ,おいで。さぁ,早く,第2波が来る前に。」

妹は,その親切な方に,着替えさせてもらった上に,温かい飲み物までいただき
一命を取り留めることができました。

ここでも,非常時における人間の非情な面とあたたかい面を考えさせられることになりました。

「指の一本や二本,凍傷でなくなるのは覚悟した。正直,最悪のことも考えたけど・・・。」
妹は,私と再会したあとこのように話してくれました。

実は,このとき,父親が首まで水につかり,妹を助けに来ていたのですが,
コンビニに着いたときは,もう助けられたあとだったようです。
「冷たいとか,痛いとか感じなかったなぁ。娘が苦しんでいると思ったら。」
今年63になる父ですが,父親の偉大さを感じました。

ちなみに,このとき消防団の方に,救助のお願いをしたところ
たき火に当たっていた消防団の方は,冷ややかに,
「そんな危険なことはできない。おれらに死ねってことですか?」
といって取り合わなかったそうです。

最後まで,マイクを離さず避難を促した消防団員がいる一方で助けを求める人を
振り払うような人もいるかと思うと残念でなりません。

妹が,助かったから,OKではないとおもいます。父が水の中を歩いたとき,あちこちから
助けを求める声が聞こえたと言います。たき火に当たっている暇があれば,
助けにいけたのでは・・・。

これで,我が家における震災当日の話は終わりです。
3回にわたり,長文を読んでいただいた方には感謝します。

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コメント 4

ぱらむ

本当に、本当に、大変なことだったのですね。
TVでは、放送する側の都合なのか、奇麗事がたくさん・・・
でも、実際には人の身勝手や、わがままも平時以上にでてくるものなのでしょう。
こんな思いをしたら、自分ならどうだろうと考えました。

家族のみなさんが、ご苦労されたとはいえ、命までは奪われなかったこと、不幸中の幸いですね。

これから、長い月日にわたってさらに我慢や努力を必要とする事態になるのでしょうか。
どうか、健康に気をつけられて、乗り切ってくださることを祈っています。

それにしても、妹さん危なかったですね。

by ぱらむ (2011-04-17 11:14) 

びょん

・ぱらむさん

本当に大変でした。っていうとかなり軽く感じられますが,
テレビで見るよりは,もっとひどいです。
あくまでも,テレビは,視聴率を考えてある意味一方的に
流しています。
特に小学校に関しては。

なんか,このごろ,テレビでは,地震の情報がなくなっていますが,
決して良くなったわけではないです。

支援が必要になるのは,本当はこれからなのに・・・。
by びょん (2011-04-21 20:16) 

サナギン

びょんさん、貴重な手記の掲載、ありがとうございました。
今回の妹さんの体験談は、本当に考えさせられました。

身の危険を感じながらも手を差し伸べてくれる人。
身の危険を感じるからこそ、手を差し伸べない人。

例えが悪いかもしれませんが、溺れている人を助けることが
どれだけ難しいかを、泳げる人は知っています。
溺れている側は、それこそ生きるか死ぬかで切羽つまって
いるわけですから、いくら冷静にさせようと思っても、
気が動転してしまうんですよね。
そういう局面においては、人間の本質が垣間見えますね。

無論、頭では「助けるべき」と思っていても、現実を目の前
にした時に、果たして行動を起こせるのだろうか。
自分の肉親ではなく、見ず知らずの他人のために、命を
掛けることができるのだろうか。

考えさせられました。

妹さんの「生きよう」という気力にも脱帽しました。
コンビニの裏なら・・・屋根の上なら・・・
指の一本や二本なくなっても・・・

どんな気持ちで屋根の上からメールを打ったのだろうと
考えると、かける言葉もありません。
とにかく、助かったという事実だけが救いですね。

お父さんの気持ちは、よく分かります。
僕もたとえ年老いたとしても、娘や息子が同じ目にあって
いたら、同じ事をしていたと思います。
やはり、親が子供を思う気持ちというものは強いですね。
感動しました。

4月29日に、ビリー隊長がチャリティレッスンを行います。
5月にも、シェリーが来日して、チャリティレッスンを行います。
僕も参加して、少ないかもしれませんが、義援金をお届け
します。そして、多くの人が支援の気持ちを絶やさぬよう、
レッスンへの勧誘を続けています。
テレビでは映し出されていないからと言って、誰も支援を
諦めているわけではありません。
むしろ、その逆で、気持ちは強くなる一方ですよ。
自分にも出来ることはないか、常に考えています。
by サナギン (2011-04-25 14:54) 

びょん

・サナギンさん

今,ビリーしている時間でしょうか。
長文,駄文を最後まで読んでいただきありがとうございました。

昨日,受け持ちの児童の四十九日で,お墓に会いに行きました。

50日立った今では,同じ市内でも,かなりの格差がでてきました。
それが,教育現場でも顕著に見られ,心を痛めています。
by びょん (2011-04-29 16:17) 

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