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あの日から6ヶ月。 [その他]

9月11日。
あの日から6ヶ月がたちました。
6ヶ月前の今頃は,体育館で怖がる子どもたちをなだめながら
お家の人たちに引き渡していました。
津波のことなんて全く考えていませんでした。

さて,ニュースでは原発のニュースもだいぶ少なくなり,
もしかしたら,地震のこともすっかり話題にすらならなくなった地域も
あるんじゃないでしょうか。
被災地にいる身として,6ヶ月たった今をお伝えできたらなと思います。
昨日,義妹が神奈川から震災後初めて帰ってきたので,
沿岸部を気仙沼まで行ってきました。
かつての様子を知る身として走りながら胸が苦しくなる景色が続きました。
写真はとっておりません。と言うか撮ろうという気になりません。


生活では,家がなくなり,仕事も失った人々は,仮設住宅に住みつつあります。
当初政府が行っていたお盆前に完了は,ありませんでした。
考えてもみてください。交通手段がない山の上に,車を失った人たちやお年寄りが
果たして住めますか?
避難所から仮設に入ったら,支援が全くなくなる。
仕事もなく,あれから6ヶ月貯金を食いつぶしてきた人たちが
少なくとも避難所にいれば,食べ物はある。
不便な場所の仮設にいくよりも,プライベートはないが元いた場所に近い
避難所を選ぶのも当然ではないでしょうか。
国は,ここ6ヶ月何を見てきたのでしょうか。
市や県には過度の期待しません。なぜなら働いている方々も被災者多数ですから。

学校です。私の住んでいる石巻は,ニュースでも取り上げられているとおり
沿岸部が壊滅的被害を受けました。
学校もかなりの数の校舎が被災し,
多くの児童が新しい学期を迎えられませんでした。
被災した学校は,近隣の小学校の教室を間借りして授業を受けています。
しかし,石巻市の町中の学校は仮設校舎を建て9月より仮設校舎にて授業をしています。
一方で,合併前の旧町では,未だ仮設校舎の建設の予定はなく,
片道40分をかけて登校している児童もいます。
お家の方も,このまま学校がなくなるんじゃないかと不安に感じています。
我々,職員も先が見えず不安の中,子どもたちと過ごしています。

授業中など,未だに余震がくるとビクッとなる児童がいます。
私の知り合いの先生のいる学校の児童はあれ以来,プールに入れなくなったそうです。

給食も近隣の市町は業者と提携したり,自校の設備を改善したりして以前の
給食に戻りつつある中,石巻市は,依然として,簡易給食が続いています。
ご飯(またはパン),おかず,牛乳。でおしまいです。
私の学校では,ツイッターでつぶやいたところボランティア団体が
毎日炊き出しをしていただいて,不足がちの野菜を提供してもらっています。
ただ,小規模だからできるのであって,市内のほとんどの児童が十分な栄養をとることが
できないでいます。
震災以前より,家庭の状況で,給食のみが栄養源という児童が多くいる地域など
かわいそうで仕方がありません。

被災した土地は,雑草が生い茂り,家の基礎を覆い隠し,もともと荒れ地だったのかと
思わせるような感じになりました。
瓦礫も一カ所にまとめられ,おおきな山がつらなっています。
公園という公園に仮設が立ち並び,子どもの遊び場所もすっかりなくなりました。

あれから6ヶ月。
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